こころ

独りぼっち × ポンコツ × ダメ子でも「幸せ」な理由

2月13日は51歳の誕生日でした。

誕生日の朝くらい早く起きればいいのに、ストーブを付けて部屋を暖めるまでの二度寝のひと時が至福なわたしは、その日も気が済むまでお布団でたっぷり朝のぬくぬくを堪能。だって誕生日のお祝いだし、とか言って。

しかし、優しい友人たちが朝も早くからLINEにおめでとうメッセージを。嬉しさ余って、その返信に朝から3~40分もスマホを連打(汗)。若干の罪悪感。

離婚して独りで迎える5回目の誕生日。まさか5年も ”ぼっち更新” するとは。トホホ・・ではあるが、まあある意味想定内でしたね。
やはり、この世は自分の思い通りの現実になっている、という何よりの証だと妙に納得。

そんな誕生日ではあったものの、誕生日というのは実にエネルギッシュで喜びに溢れるときだなあ、と今年も痛切に感じております。

星読み的にも、自分のネイタルチャートに運行の太陽がぴったり重なって、生まれ持つ自分らしさの輝きに磨きが掛かる瞬間なわけだからね!!このタイミング、意識しなきゃホントにもったいない、とわたしは強く言いたいです。

51歳ともなれば、まあどうアガイテモ逃れようのないポンコツっぷり炸裂ですよ。

10年前、エキサイティングな異国で40歳を迎えたときには、まさか10年後の自分が、故郷の片隅で独りひっそりとオーバー50バースデーを祝う未来を迎えているなんて、予想だにしなかった。

あのときの自分が知ったら、きっと怖すぎてその先を生きてゆけなかったに違いない。(そりゃそうだ。超恐怖だ。)

そう。40代。わたしはずっと怯えて暮らしていたことを苦笑とともに思い出します。今よりずっとずっと楽しい環境にいたはずだったんだけどね。

「此の世で一番逢いたいわたしの赤ちゃんは、一体いつ来てくれるんだろう。もう時間はそんなに残っていない。もしかしたら「会えない」という最悪の未来もあるかもしれない。そうんなことになったら、(当時の)夫と二人きりでどうやって子無し家庭をやってゆくんだろう・・・」

考えれば考えるほど恐怖に襲われた。赤ちゃんと会える僅かな可能性だけが、当時のわたしの唯一の心の支えだったから。

でも、結局その望みは叶わず、その現実を受け入れるのに何年も何年も、心が裂かれるような痛みをずっと長い間引きずっていました。

あらら。誕生日の話から、つい暗い思い出話になってしまいましたね(笑)。

何が言いたいかと言うと、それでも今51歳をこうして単身で迎えているわたしは、不思議なことにあのときの自分より遥かに穏やかで幸せを感じている、ということです。

子どもとも夫ともご縁がなくなってしまったし、年老いてゆく両親とはなかなか素直に接することが出来ず、相変わらず凹む日々だし、何より、ここまで必死で準備してきた仕事も思うように軌道に乗せられず、超絶焦りまくりの毎日だったんだけど。

もう、なにもかもダメダメ過ぎで空回りしすぎな人生のネガティブ要因が、恐らく極限に達しているような気がするんですよね、最近。

もう、笑うしかないじゃん、みたいな。

独りぼっちでいることも、朝も起きれずテキパキも動けずマイペースで仕事効率が悪いポンコツっぷりなのも、同業者で大活躍してる人の発信見て一人で勝手にジェラシーしながら悪態ついてる腹グロの自分も、それもう全部そのままでいいじゃん、と開き直ってる。

そうなるとね、実はシメタもので、なんとこんどはポジティブな方向にクルッと反転してゆくようになっているんですよ。陰極まりて陽に転ずる、というやつ。

自分の嫌なところや、直さなきゃいけないって思ってたところも、

「もういいやこのままで」

と思えるようになっている昨今。

そして、それがあまりにも可笑しくて、一人でニヤニヤ笑ってたりするもんだから、余計に不気味でオカシサ倍増。

いつの間にか、気付いたら「あー今ってわたし、けっこう自由で幸せだよな」と。そう思えてきて、妙に安心する。

自分の受け入れがたいところがあったとしても、そこをどうにかしない限り幸せになれないわけじゃない、とわかる。

弱い自分も、ズルい自分も、腹グロい自分も、言い訳でごまかしちゃう自分も、いい加減な自分も、うまくいってない自分も。そんな自分でも、なんら問題ない。

問題があると思っていたから、それが実際に「問題」や「悩み」になっていただけ。

これ、すべての人にあてはまると思います。

これまでの「地の時代」は、「完璧であること」が価値があるとされてきました。

つまり、完璧でなければ価値がない?!

いや、そんなことって、本来オカシイでしょう?

自己価値を高めるとか自己受容するとかっていうのも、完璧でなきゃ、ポジティブでなきゃできない、と思い込んでいた。というか「そうあるべき」だと社会や周囲から刷り込まれていた。

でも、それはもう古い価値観なんですよね。

ありのままで、いまを精一杯生きてるだけで、誰でも皆んな皆んなOKなんだよ。
素晴らしいことなんだよ。

なぜなら、色んなことを「心に感じて」くれるから。それが、地球の肥やしになっているらしいのです。

集合意識のネガティブ要素を、クルッとポジティブに反転させるためには、みんなの地球での感情体験が必要だから、なんです。

変わらなくていい。

直さなくていい。

埋めなくていい。

凸凹があるままでいい。

そう思うと、幸せになれてる気がしてきます。そして、地球も喜びます。

病は「気」から。幸せも「気」から。そんなことに改めて気づいた51歳の誕生日でした。

ABOUT ME
KOTORI KUMIKO
KOTORI KUMIKO
【星よみカウンセラー】 お寺に生まれ「祈り」を生き方のベースとしています。星よみは感性にゆだねならも、「なぜそうなのか?」を論理的に現実的に伝えたくて、大宇宙の星のメッセンジャーを目指し日々奮闘中。わたしにとっての星読みは人生に彩りを与えるアートであり、心に潤いと感動を与えてくれるもの!そして、癒しと気付きのセラピーにもなってしまうもの!!日本中、世界中、なんなら宇宙中の仲間たちとそんな星よみみを愉しみたいという広大無辺な夢を、今日も天に祈り星と語る。